300円から200万円まで、シーサーも色々。国際通りで、やちむんの奥深さに誘われる。
沖縄観光の代表格といえば、那覇市にある国際通り。およそ1マイル(およそ1.6km)の間に飲食店や土産物店がひしめき、国内外からの観光客で常に賑わっている。その一角にある琉球民芸ギャラリー「鍵石」は、入り口付近にシーサーがならび、一見ほかの土産物店と大きな違いはなさそうだが、実は一歩足を踏み入れるとそこには奥深い沖縄の民芸の世界が広がっているのだ。
photo: G-KEN / text: Masayuki Sesoko国際通りの土産物店
那覇市にある「国際通り」といえば、“ザ・お土産物屋さん”とが並ぶ通りというイメージを抱いている人も多いだろう。しかし、侮ることなかれ、「やちむん」が気になっている人はもちろん、コレクターも満足させる一流の品揃えと奥深さを誇る「鍵石」だけは別格だ。
沖縄の焼き物「やちむん」のこと
そもそも「やちむん」とは、沖縄の方言で「焼き物」のこと。沖縄で作られている器などの日用雑器やシーサーといった陶器の総称だ。その歴史は古く、琉球王朝時代に中国などから南蛮焼きの技術が伝えられた頃からおよそ600年の歴史があると言われている。
17世紀になると県内の三カ所に分散していた陶窯を、産業振興目的で「壺屋」(旧真和志間切牧志村)に集めたのが、「壺屋焼き」の始まり。実は戦後、戦争で家財を失った沖縄の人々の日用の器を賄う必要があったことから、いち早く復興されたのは壺屋だった。そして、1950年代から始まった「民藝ブーム」にものって壺屋焼きの人気に火がつき、広く知られるようになる。窯元が立ち並ぶ「壺屋やちむん通り」や、壺屋から一部の窯元が拠点を移してできた読谷村の「やちむんの里」は、沖縄でも屈指の観光地に。かくして、やちむんは長らく沖縄の人々の暮らしを支えてきたのだ。
鍵石の成り立ち
「鍵石」がオープンしたのはいまから30年以上前のこと。読谷村の「やちむんの里」にある「北窯売店」と同じころ。 「北窯」とは、宮城正享、松田共司、松田米司、與那原正守の四人の名工による、沖縄を代表する共同窯のこと。
内地出身で代表の竹田誠さんが、那覇市牧志で輸入雑貨や、貝などで作った小物を販売するところからスタートして、泡盛のお店や土産物店などを国際通りでオープンしたのち 「民芸の専門店を作りたい」と、那覇市牧志の古民家で「鍵石 」をオープンした。
現在店長を務める宮城隆介さんは鍵石がオープンした数年後に入社し、10年ほど前から店長を務める。いまでは50以上の窯元と取引をし、店内には常時3,000点以上のやちむんを揃える。
観光客が多い立地ゆえ、手に取りやすい雑貨も多く取り扱うが、ふと店内を見上げれば名だたる作り手の大皿が展示されているなど、骨太で、通も唸るような作品がある。何せ一番手頃なシーサーは300円からあり、店舗一番奥に鎮座したシーサーは200万円。その振れ幅ばには驚くばかりだ。
やちむんの奥深さにはまる鍵石のセレクト
最初に目に飛び込んできたのは長らく読谷村の北窯 松田共司工房で修行し2022年に独立した「いずみ窯」のカップ。入荷しました! の札が付いていたのは山田真萬さんの山田工房で修業した「深貝工房」の作品。その上に並んでいたのはメキシコで窯業指導の経験を持つ友寄 淳さんの作品。どこか地上絵を思わせるような独特な絵柄が印象的だ。
「やちむんの魅力は制約がないところ。おおらかで、これでご飯を食べたら美味しいはずだなって思わせる魅力がありますよね」と、宮城さん。宮城さんの考える良いやちむんとは、「焼き」がしっかりした器。ギュッとしまって光沢があり、指で弾くとキンッと高い音がする。
店内奥に進んでいくにつれて、さらなる巨匠たちの作品にも出会える。照屋窯 照屋佳信さんは厨子甕(ずしがめ。沖縄の骨壷)づくりといえば、必ず名が上がるほどの現代の名工のひとり。200万円のシーサーの正体は島 常賀さん作のもの。島 常賀さん(1903〜1994)といえば壺屋の名工のひとりで、波上宮や万国津梁館にもそのシーサーが展示されている。他にも大嶺工房 大嶺實清さんや、もとぶ南蛮窯の與那覇朝一さんなど名だたる陶工たちの作品が並んでいる。
沖縄の伝統的な技法や柄を用いたもの。枠に囚われない自由なスタイルを感じさせるもの。今をときめく若手のつくり手から、時代を築いてきた名工たちの作品まで。鍵石のラインナップの奥行きと幅広さは、やちむんを熟知している人も驚くという。
観光客で賑わう国際通りも1軒ずつつぶさに覗いていけば、沖縄の奥深さに出会わせてくれる、とっておきのお店との出会いがあるかも知れない。
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